世間の常識
前回ぼくは、ぼく達は「世間の常識」に囚われているということを少し述べました。
今回はそれについて深掘りしていこうと思います。
最初に、「世間の常識」とは世間での一般的な考え方、つまり、多数派の考え方、概念のことをここでは言いました。
先日、ぼくはバイトを辞めました。
理由はいくつかあって一番の理由は、労働と時間を切り売りするということが苦痛だったことです。
後日、部活の先輩にバイトを辞めたことを告げると、「お前社会不適合者やな笑」とからかわれました。
このことから「世間の常識」というものが一つ顕著に現れていると思います。
それは、お金を稼ぐのはしんどいものだというのが普通で、それに耐えれず辞めるというのは社会的には適していないということです。
なぜこれが「世間の常識」かと言うと、しんどい思いをしてお金を稼いでいる人が相対的に多いからです。
でも、しんどい思いをしてお金を稼ぐことが本当に正しいのでしょうか?
この世には自分の好きなこと、やりたいことをして稼いでいる人や、自分の事業を行っている人がいます。
これは、しんどいことをして稼ぐ人に比べて少ないです。
つまり、世間では普通じゃない方です。
多くの人はそんな少数派にはなれないという常識によって諦めて、多数派の方に流れてしまいます。
自分の中で議論もすることなくです。
でも、ぼくは少数派を目指します。
なぜなら、ぼくは世間の常識を鵜呑みにせず、自分で判断しているからです。
だから、ぼくはバイトを辞める事を決意しました。
この苦痛に慣れることが良いこととは限らない。
これは、他人から見ればただの甘えや、言い訳かもしれません。
さらに、社会は変化しています。
今ある常識は時代遅れになりつつあるんです。
実際、時間を削って労働をする方がしんどいけど安定した収入を得られるし、アンパイです。
でも、これからは安泰とは限りません。
大手自動車メーカーのトヨタ社長も終身雇用の限界を訴えました。
これからそういう企業はどんどん増えていくでしょう。
そのため、一生に一つの仕事という今までの常識はきっと無くなって、副業などで自力で稼がないといけなくなるかもしれません。
そんな中、今ある常識を疑わず、囚われていては必ず泣きを見ます。
だから、ぼくは今の常識を自分でしっかり吟味し、少数派であろうとこれからの社会で幸せになれる方を選びます。