無知の知
結構前の記事になりますが、キングコング西野さんのブログでこんなことを言っていました。
「知らない」と「嫌い」は似ている。
「知らないから嫌い」なんだと。
そして、「知らない→嫌い→嫌いだから知ろうとしない→更に知らないものが増える→嫌いなものが増える」という流れで「知らないことが増える」とも言っています。
なるほど。そうか。
ぼくも今までを振り返って見ました。
「この人なんか嫌いやわ」とか「ネットビジネスって絶対詐欺やん。こわいわ」とかそうやって煙たがることがよくありました。
でもそれって、よく知らないからなんですね。
ぼく達は、こんな風に外部から入ってくる新しい情報を吟味することなく「嫌い」と思ってしまうことがよくあるわけです。
それを、西野さんのブログを読んで気づかされました。
これは、もったいないことをしていたと後悔の念を抱きました。
何がもったいないって、「知らないことが増えていた」ってことです。
何故もったいないか、それは、ぼく達は存在すら知らないものは好きにも、嫌いにもなれないからです。
知らないことが増えるというのは、存在すら知らないものが増えるとも言えます。
知らないということは損です。
例えば、身近に洞窟があったとします。
でも、薄暗いし、危なそうだから近づくのはやめておこう。
これが、「知らないものは嫌い」という状態です。
でも、その中には本当は果物が沢山あって、洞窟に近寄らない人はその存在を知りません。
そして、これが「存在すら知らないから好きにも、嫌いにもなれない」という状態です。
本当はめちゃくちゃ美味しいのに、みすみす逃しているかもしれない。
そんなことがいっぱいあると思います。
「自分が無知であることを知っている」という意味です。
これってかなり重要です。
ぼくはつい最近まで日々、やりたいことも無く「人生面白くないなー」とか思って生活していました。
でも、それってただ自分の見ている世界、知っている世界がつまらないだけだったんです。
その時は(まあ、今もなんですが以前はもっと)言うならば無知の無知状態でした。
無知だということを知らない状態です。
でも、この世には本当に楽しんで充実した生活をしている人がいることぐらいは知っていました。
そこで、気づいたんです。
ぼくは何も知らないんだ。もっと楽しい世界があるんじゃないか、と。
ここで一つ「無知の知状態」になれたわけです。
エレンやアルミンが海をみたいと夢見るように、ぼくも自分の知らない世界を見てみたいと思うようになりました。
自分よりもっと高みにいる人達が見ている世界はどんなものなのか、そして、そこに至るまでの過程すら見たい、知りたい、経験したいと思っています。
今、やりたいこととか、楽しいことが無いな〜って人はまだそういうものに出会ってないだけなんだと思います。
好きになるはずのものが知らない世界にある、そんな感じです。
さっきの例えで言うと、洞窟にある果物が好きかもしれないのに、その存在すらしらない。
だから、外部からの新しい情報を「嫌い」と弾くのではなく、まず取り込む。
そのために、情報を弾いてしまう壁をぶち壊すんです。
否定ではなく、肯定から入る。
そうして、興味を持てたら調べてみる。
調べてみたら、やってみる。
一つ壁を壊して、知ろうとして、行動する。
そうすると、その穴からたくさんの情報がなだれ込むように入って来ます。
そして、自分で取り込もうとするようになります。
あなたの好きになるはずのものが、どこにあるのかは分かりません。
近くにあるかもしれないし、遠くにあるかもしれない。
ただ、それを見つけるためにはまず「無知の知」が大切です。
ぼくは自分の知らない所に、ワクワクするものとか、楽しいものがたくさんあると確信しています。
だから、これからそのお宝を集めに行こうと歩き出しています。