なぜ学ばないといけないか
どうも、ゆうまーるです。
ぼく達はなぜ学ばないといけないか。
それは「車輪の再発明」をしないために学ぶ必要があるのだと思います。
車輪の再発明とは、既に広く知られている確立された技術や解決方法があるにもかかわらず、それを知らずに、あるいは意図的に無視して、一から同じ様なものを発明してしまうことを指すことわざの一種である。
車輪の再発明って日常の小さなことでもたくさんあります。
自分が考えていたことはだいたいネットや本なんかを見ると偉い人たちが代弁してくれていて、答えまでだしてくれている。だから、何か伝えようとすると、既存の言葉と被ってしまう。
— 福田 祐真 (@yumaaaru0627) 2019年4月24日
自分で新しい考えを見つけて、答えを出せればその人たちと肩を並べれる気がする。
例えば、結構前にこんなツイートをしたんですが、自分がすごいいいことに気づいたと思って発信するけど、そんなちっぽけな気づきなんて、とっくの昔に誰かが見つけたことなんです。
数学の公式なんかを例に出すと分かりやすいかもしれません。
数学で問題を解くときに公式を当たり前のように用いますよね。
わざわざ公式を見つけるところからやるわけではありません。
ただ、それは公式を学んでいるからであり、公式を知らない状態だと問題を解くのに多大な時間がかかる訳です。
これって全てのことにおいて言えることだと思っていて、学ぶことをせず、公式なるものを知らないから、悩まなくていいところで悩んでいるケースってとっても多いと思います。
もちろん、悩む行為自体にもぼくは価値があると思います。
しかし、解き方が解明されていたり、答えが出ていたりするのにそれを知らずに、時間を費やしてしまうのってもったいないと思います。
解き方を学べば学ぶほどより上の次元で悩むことができるんです。
ぼくらがこの時代に生きている利点って、これまでの歴史の積み重ねから、あらゆる問題の解き方を学べることだと思います。
夢を叶えるゾウでも書かれていたけど、ぼく達が生きている中で生まれる悩みって、ほとんど過去に誰かが経験したことでその解決方法も調べれば出てくるものが多いです。
まとめ
ぼく達はなぜ学ばないといけないか。
それは、「車輪の再発見」を避けるためです。
それは、限りのある時間で人生をよりよくするために、0から問題解決の方法を生み出すのでは無く、既に発見されたものを学んだ方が早いということです。