君達はどう生きるか②
どうも、ゆうまーるです。
人間の悩みと、過ちと、偉大さと
「王位を奪われた国王以外に、誰が、国王でないことを不幸に感じる者があろう。.........ただ口が1つしかないからといって、自分を不幸だと感じる者があろうか。また、目が1つしかないことを、不幸に感じない者があるだろうか。」
本文にはこういったことが書かれています。
ぼく達はこれらのことを深く考えてみなければなりません。
そうすることで、ぼく達は大切な「真理」を知ることができるのです。
人間の悲しみや苦しみというものにどんな意味があるのかということを教えてくれます。
ぼく達は何歳であろうが、その歳相応の悲しみや苦しみに出会います。
それは、心だけでなく体の面でも。
体に故障ができたとき、ぼく達は何らかの苦痛を伴います。
頭が痛くなったり、お腹が痛くなったり…。
その苦痛を通して、体が正常の状態でないことを知ることができるのです。
これは心に関しても同じことが言えて、苦しみや悲しみを感じるのは、人間が人間として正常な状態にいないからなのです。
苦しみや悲しみのおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捉えることができるのです。
自分勝手な欲望が満たされないからといって、自分を不幸だと考える人もいます。
つまらない見栄にこだわって苦労している人もいます。
しかし、こういった人の苦痛というのは、自分勝手な欲望を抱いたり、つまらない虚栄心が捨てられないということから起こっているものであり、そういう欲望や虚栄心を捨てれば自然となくなるものなのです。
このことから、人間は自分勝手な欲望を抱いたり、つまらない見栄など張るべきではないという真理が、この不幸や苦痛の後ろに潜んでいると書かれています。
話してきた苦しみの中で、最も心にささり、1番つらい涙を流さすのは、自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識でしょう。
ぼく達が悔恨するのは、自分の行動を決める力を持っている中で、「自分はそうでなくこういうふうに行動することができたのに」と考えるからです。
正しい理性の声に従って行動するだけの力がもしぼく達になければ、どうして悔恨の苦しみを味わうことがあるでしょうか。
「誤りは真理に対して、ちょうど睡眠が目覚めに対すると、同じ関係にある。人が誤りから覚めて、蘇ったように再び真理に向かうのを、私は見たことがある。」
これは、ゲーテの言葉です。
ぼく達は自分で自分を決定する力を持っているから誤りを犯すし、その誤りから立ち直ることもまたできるのです。